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2002-08-28 人間の行動を考えた交通行政を願う |
人間の本質というものは、もしかして大昔から全然変わっていないものだと私は考えている。富や権力、色恋が原動力になって社会が動いていると思っている。源氏物語が書かれたころからこんな富や権力、そして恋愛などに関して記述が なされていて、時代背景が変わった現在でも全く通じるものがある。また人間には動物的なものも持っておりこれも変わらないものである。食欲、性欲、睡眠欲などである。
人間とは生きるためや欲望を満たすためには自己の持てる知能と能力を最大限に発揮して行動しているものである。この行動の中に社会生活を営む上で問題となる部分を法律などで規制しているものなのである。犯罪は犯してはならないなど、自分の欲望だけで突っ走ることは許されないようになっている。しかし、この様な法律の網を掻い潜って様々な問題を起こす人間も多数存在するものなのである。人間は常に自分に都合がよいように考える動物であることを忘れてはいけないのである。
この路面電車撮影日記を始めて多く路面電車や道路交通に関して考える機会に恵まれてきた。そこで常に思うことは人間の特質を余り考えることなく、一定の規則や枠を設けてそれに縛り付けてしまえばよいと安易に考えられている事例を多く見かけることである。 たとえば交差点の交通改善を行う改良工事で返って歩行者などに無駄な負担や事故を呼び起こす原因となるものが見られることは既にこの社説で述べたとおりである。
私が考えている通勤通学などの移動に関する人間の行動パターンは、基本的にコスト(経費)と労力と時間の三つが関連してどれもが最も少なくなるように行動するものである。そこに「ここでこんなことをしても大丈夫だろう」と言う心理作用が加われば多少の違法行為 や危険行為でも行ってしまうものなのである。
これを踏まえて考えると、人間が交差点の改良工事などが行われた後にどのように行動するかを全く持って考えていないと言わざるを得ない状況であり、これに警鐘を鳴ら す意味でいろいろ社説で述べてきた。また改善案などをいろいろ提案してきている。
たとえば十日市交差点を考えてみよう。改良工事で横川方面から土橋に向かって走る方向に関しては車線の拡幅により交通はスムーズになったと評価できる。しかしその反対の土橋から横川方面に向けて走る部分に関しては拡幅にもかかわらず路上駐車の自動車が増えたため結局以前と変わらない印象である。十日市交差点の横川側はパチンコ屋などがあり、パチンコ屋自身に駐車場があり、また周囲にも駐車場が完備されている関係上路上駐車がないのである。しかし十日市交差点の土橋側は自前の駐車場を持つ店舗は少なく駐車場も少ないところに向けて、無用に広い車道があるため路上駐車をする 者が後を絶たない状況になっている。これは工事をする前からとっくにこうのような状況になることは明らかであったはずであり、紙屋町交差点や本通交差点のように県警の監視カメラや路上駐車の摘発を常に行うような状況になければ路上を駐車場にする人間が現れてくるのは 至極当たり前のことなのである。
路面電車関係に目を向ければ、目の前に電車の乗り場があり、交通量もそれほどではなければ車道を横切ってしまうのも乗客が現れるもの当たり前であろう。わざわざ遠回りして時間と労力を掛けて歩く ことを考える人間は少ないはずである。 もちろん多くの人は横断歩道以外を歩くことは違法行為として認識して遠回りするものである。この近道となる部分に横断歩道があれば違法行為とならず便利なところ誰でもが歩きたいはずなのである。
これらはどれも歩く距離を短くして楽に電停や道路の脇のお店に立ち入りたいという気持ちの上に、これぐらいなら大丈夫だろうという判断があって行われることである。もちろん違法行為であるが、この様な行動をとる人間は全人口のうち何割かは存在するものであるし、これから高齢化が進むと、判断力が衰えた老人たちが街中を歩き始めるのである。こんなことをしても大丈夫だろうと思う判断も段々と甘くなり、周囲から見て 明らかに危険だと思われることを平然と行う老人を私は幾らでも見てきた。
私は人間がもっとも便利と感じる場所や自然に移動できる場所に横断歩道などを設けたりする政策が必要ではないかと考えている。そのとき交通弱者を優先する順番で考える必要があると思っているし、誰だってそうあるべきと思うことであ る。どうもこの順番が逆になってしまっているのが現在の広島地域の交通行政のように思われてしかたがないのである。紙屋町交差点を例に挙げれば地下街が出来て確かに自動車の流れはよくなったと私自身が自動車で通行するとき実感するものである。しかし歩行者から見れば無用に地下街へ誘導されることにより無駄な労力と時間を消費させられているのである。もっとも割の合わないのが自転車で車道も地下街も通れないのである。 そのため交差点を大周りしなければならないのである。
歩行者と自動車の通行を分離する必要があるという前提からこの紙屋町交差点の地下街は作られているようであるが、交通弱者から優先の立場を考えるならば歩行者は地上を歩き自動車を地下または陸橋で交差点を通行させるようにすべきであったのである。現在でも問題となっている広島そごう前の乗客の待ちのタクシーの 渋滞も客の居ない場所となる地下や陸橋での駐車は考えられないので自然にタクシー渋滞も解消されるはずだったのである。もともと交通渋滞は人が集まるから発生するのである。これだけ人が集まっているところに賑わい施設として商店街までもあわせて作ること自体が交通行政の面から見て間違っていると私は考えている。そして地下街に設けた商店街のために無理に歩行者を地下街に誘導する施策は以ての外(もってのほか)と私は考えている。
私は違法行為や危険行動を誘発させるような道路行政や施策は反対の立場を取りたいと考えている。人間の行動を考え歩行者や自転車・自動車がスムーズに通行できるように考えて欲しいと願っている。これからは老齢者が急増する時代に入っている。物事を正しく判断しにくい老齢者にも分かりやすく楽な方法を交通行政にも考えて欲しいと願っている。
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著作:石崎達也 制作:有限会社タツヤ模型