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3.引退した路面電車の末路

 1999年から始まった超低床電車(愛称:グリーンムーバー)の導入に伴い、数多くの旧型電車が廃車・解体の運命を辿って行きました。広島電鉄で引退した電車のその後の様子について、いままでの広島電鉄を観察した中から紹介したいと思います。

 新型電車の導入に伴い廃車とする電車は事前に選定を行っているようで、新型電車が導入された年度末から一ヶ月程度の間に休車として車庫に保管されるようです。この休車というものは、車籍が登録されている状況でありながら、実際には運行されることがない状況を示しています。これは実際に旧型電車をいきなり廃止するのではなく、電車の運用を取りやめても、その後実際の運行に支障がないかを確認するためのようです。

 現実として、この廃車を前提とした休車になりながらも奇跡の復活をしたも存在します。それは1153号です。これは2000年5月にハノーバー塗装の電車として有名でした1105号が交通事故で修理不能なほどの大破をしてしまった関係で、電車が不足となり一時期車庫の奥にしまいこまれていた1153号が復活したものでした。旧型電車の場合修理して運行するよりも、こうして休車中の電車を復活させた方が効率がよい事情があるようでした。この1105号は廃車・解体されましたが、ハノーバー塗装はその後1156号に引き継がれました。

 この休車も1年ぐらいの期間を経て、実際に運用につくことがないことが確かめられた後は、廃車となるようです。廃車とは車籍の登録を抹消することを意味しています。これで「電車」としてではなく「物」として存在することとなり、もう旅客輸送に使うことは出来なくなります。

 この廃車の手続きが終了すると電車は解体されることとなります。近年この解体を免れ保存されることが決まったのは、神戸市交通局に引き取られた1103号でした。このような事例はほとんど見られないものです。多くの場合、電車の一部分(運転台部分など)の保存がせいぜいの状況です。そのため廃車となった電車は、ほとんどが解体の運命を辿ることとなります。

 この休車から廃車への一連の過程において、廃車が確実視されると使える部品を取り外すなどの作業が少しずつ時間をかけて行われるようになります。現実には休車になって1年を経た時点で自分自身で走行できない電車となっていることもしばしばでした。

 広島電鉄では廃車となる電車のお別れ運転を行っていない原因の一つとして、このような曖昧な状況の流れの中で、まだ復活するかもしれない電車にお別れ運転をするわけにも行かず、実際に廃車が決まった時点では運転することが出来ない状況になっていることも関係しているようです。もちろんその他のさまざまな要因も関連しているようです。

 他の鉄道では長く市民の足として勤め上げた電車の功労をねぎらうようにお別れ運転として「さようなら」などと書かれたヘッドマークを掲げて運転されることが多いもので、広島電鉄ではお別れ運転が行われていなかったことがとても残念と私は思っています。

 このようにして今まで数多く存在していた650形電車以外の被爆電車もひっそりと誰に知られることなく姿を消していったものと思われます。将来650形電車が引退の時期を迎えた場合も、このように誰にも知られることなく、ひっそりと姿を消すことがよいのかよく考えてみる必要があると思います。

 恐らく気づかぬうちに被爆電車が廃車解体されていたということは広島市民とても受け入れがたいものだと思います。残り少なくなった被爆電車として広く公式に広島電鉄が紹介してきた電車ですから、運用を中止するとか廃車・解体をするなどが決まった時にはやはりしかるべき方法で広島市民に告知して欲しいものと願っています。前述のお別れ運転というイベントを組むとなれば、マスコミなどは当然取り上げる内容ですし、広島電鉄としてしかるべき告知と周知を図ったものと考えられるからです。

 お別れ運転も一つの儀式であり、その存在が大きければ大きいほど、一つの節目や終わりを迎えたときには、けじめとして儀式が必要であると私は考えています。すでにマスコミに大きく取り上げられ、広く被爆電車として広島市民に知られることとなった650形電車は他の被爆電車とは違った存在になっていると思います。

【写真解説】
 予想外の事故廃車となった1105号の最期の姿です。
 人知れずひっそりと解体されてしまいました。

 1156号に同じイラストが引き継がれています。

撮影:2001年2月22日

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公開:2003-08-13 著作:石崎達也 制作:有限会社タツヤ模型